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タイ東北部の一つの農村を、村人も調査する側も世代交代しながら、半世紀にわたって調査してきた。このようなフィールドワークだからこそ見えてくるもの、知りえることがある。
1950年代末、日本社会が戦後の混乱から抜け出し高度経済成長へと舵を切ろうとするころ、京都大学の教員や学生の有志が集まり、「東南アジア研究会」が発足し、海外でフィールドワークに取り組みたいという強烈なエネルギーが結集しました。
その成果はすぐに表れます。1963年に東南アジア研究センター(現東南アジア地域研究研究所)が設立され、バンコクに連絡事務所が開設されました。1964年にはタイ・マラヤ研究計画推進のため、一人の若手人類学者がタイに派遣されます。故水野浩一先生です。
水野先生が調査地として選定したのが本動画で取り上げるドンデーン村です。この村は、タイ東北部の中核都市コンケーンの南東20キロメートルに位置しています。今では、コンケーン市は活気ある地方都市に成長し、ドンデーン村も都市近郊農村となっていますが、当時のドンデーン村は森に囲まれた純農村だったでしょう。水野先生は2年間におよぶ単独での定着調査により、農村の社会組織に関する多くの成果を生み出しました。
20年が経過し、再びこの村に焦点を当ててみようという動きが東南アジア研究センターで起こります。その中心人物の一人が本動画の冒頭に出てくる福井捷朗先生です。福井先生が中心となった1980年代の調査は、水野先生による調査とは異なり、人類学に加えて、経済学や地理学、農学、土壌学、水文学等の研究者によって組織されました。もちろん、京都大学の教員のみならず、さまざまな大学の教員や大学院生が参加しました。その一人が本動画に登場する河野泰之です。
1980年代は、タイ社会がまさに高度経済成長に向けて離陸しようとする時です。昔ながらの生き方と経済発展が生み出す新たな機会を捕まえようとする動きが混在していました。それからさらに20年が経過しました。
2000年代になるとタイの経済成長も一段落し、その恩恵はバンコクから地方都市へ、そして農村部へと広く浸透しました。これが具体的に村人の生活や生業にどのような影響を与えたのかを調査することになりました。
この2000年代の調査は、1980年代の調査に参加した舟橋和夫先生(当時は龍谷大学)や宮川修一先生(当時は岐阜大学)が中心となったものです。この調査に大学院生として参加したのが本動画に登場する渡辺一生さんです。
それからもうすぐ20年です。ドンデーン村はさらに変化しているはずです。少子高齢化やITの普及等、アジア諸国で広く見ることのできる現象がドンデーン村でも起こっています。これが村人の生活をどう変化させているのか。2020年代に再び調査したいと考えています。
河野 泰之(京都大学東南アジア地域研究研究所)
渡辺 一生(京都大学東南アジア地域研究研究所)
福井 捷朗(京都大学 名誉教授)
もう少し深く知りたい方への文献紹介
(1) 水野浩一.1981.『タイ農村の社会組織』,東京:創文社.
ドンデーン村調査の出発点となった1960年代の調査結果の集大成。協働共食の単位としての屋敷地共住集団を提唱した。
(2) 福井捷朗.1988.『ドンデーン村-東北タイの農業生態』,東京:創文社.
1980年代の農業や人口動態に関する調査結果の集大成。農業・農村調査の新しい方法論の確立に意欲的に取り組んだ成果。同書の英訳は以下の通り。Fukui, Hayao. 1993. Food and Population in a Northeast Thai Village, Honolulu: University of Hawai’i Press
(3) 口羽益生編.1990.『ドンデーン村の伝統構造とその変容』,東京:創文社.
1980年代の農村社会や宗教に関する調査結果の集大成。長期定着調査から見えてくる、タイ農村社会の根幹に迫る。
(4) 渡辺一生. 2015.「タイの社会と稲作-地域に根ざした生き方と知恵」, 佐島隆, 岩崎真哉, 村田隆志, 佐藤史郎編, 『国際学入門: 言語・文化・地域から考える』, 法律文化社, 京都.
タイの社会、そしてドンデーン村の日常と稲作について紹介されている。タイや東南アジアの農村に興味がある人向けの入門書。
本ページの内容は、京都大学東南アジア地域研究研究所ニューズレター記事としても収録されています。該当記事はこちらです。