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川はどこまで続くのか? -タイとミャンマーの国境に沿った周辺移住者に関する学際的研究

Walking to where the river ends
I sat and watched the clouds rise
By chance I met an old man in the forest
We talked and laughed
And forgot when it was time to go home

(Wang Fang yu, Susanne Gramham Storer, and Mary de G. White.
1980. Walking to Where the River Ends. Hamden, CT: Archon Book. p. 67.)


川の終わるところを目指して歩く
私は腰を下ろし、雲が湧き起こるのを見た
偶然、森で一人の老人と出会い
私たちは語り合い、笑った
そして家に帰る時間がきたことも忘れてしまった

この動画は、唐の偉大な詩人の一人、王維の上にあげた詩に触発されたものです。自分の研究という旅を通して、私は友人とも見知らぬ人たちとも一緒に、いくつも並ぶ眩しい知識の奔流に出会い、それらに浸かってきました。これらいくつもの川に沿って歩くにつれ、いつも謙虚な気持ちにさせられました。今でも、私がいつかこれらの川の終わりにたどり着けるとは思えません。

 私は自分の研究を移民研究と境界研究が交差する地点に位置づけてきました。2000年のタイ・ミャンマー国境地帯およびビルマ/ミャンマーの内陸深い戦闘地域への旅以来、多くの移住を余儀なくされた人々を傷つきやすく、そしてまた犠牲になりやすい存在にしてきた(現存する)権力関係を見極めることが、私にとって成すべきことになりました。私は(良かれ悪しかれ)哲学的な思考に傾きがちな人間なので、自分が関わることになった国境地帯の空間と生活双方の万華鏡のような変わりようについて、4つの概念―暴力、差異、周縁性、一時性―の絡み合う関係を出発点として、きわめて基本的な問いを自分自身にしばしば投げかけてきました。それゆえに私の研究の旅は、人文科学の様々なディシプリン、特に政治学、哲学、人類学、歴史学の異なる研究ジャンルを融合させるものになっています。

 政治理論の訓練を受けた者として、私は、特に人間の脆さにまつわる「政治的なもの」の新たなフロンティアを常に探り、それらを理論化し哲学的に思考する新たな手法を探し求めています。つまり、私の研究とはもっぱらフィールドワークによって触発された政治理論を、従来の文字通りの理論化/哲学的思惟と結合させながら、生み出すことなのです。

 機会あるごとに、まるで「実際の世界」に出現したかのような、そうしたフロンティアに入り込んだ人々の一部に身を置いてきました。例えば、タイ・ミャンマー国境地帯の市民社会、あるいはそこに関連する市民社会で、3年間「難民キャンプ」で教えながら同時にバンコクのタマサート大学でも教えたことも含め、仕事をした経験があります。別の時には、私はマラリア撲滅に従事する保健関係者・研究者のグループの一員でした。これらすべてを私はいくつもの知識の川から学んだのであり、学んでいるのです、しばしば「家に帰る時間が来たことも忘れて」。

デーチャー・タンスィーファ(京都大学東南アジア地域研究研究所)

所属等の情報は、動画撮影時のものです。